人付き合いが苦手な人は無理してる人
私は人づきあいが苦手だ。
上っ面の付き合い、というのか。
仕事場、ご近所さん、習い事、親戚、なにかのちょっとした集まり・・・
どこにいっても人付き合いというのは出てくる。
きっとほとんどの人がめんどくさいと思いながら、自分の居場所をなくさないために少し無理して人付き合い、というものをしているんだろうな。
かくいう私も、昔(中学生くらいまで?)は人に好かれようと、何をいえば喜ぶか、どう振る舞えば周りの人たちに気に入ってもらえるかと、必死に考え、明るい自分を演じ、いわゆるいい子、をやっていたんだと思う。
小学生の時は特に顕著に。
本当は人と打ち解けるのが苦手で、引っ込み思案だった。
でもそんな自分が嫌で、明るい子になりたくて、必死に頭をフル回転させて、その場その場で人を笑わせたり、どうにか傷つかないように言葉を選びながら、頑張って生きてた。
ある日、そんな私を、兄はすごいな、と言った。
その言葉に、私は衝撃を受けた。
そうするのが当たり前と思っていたから。
頑張って人としゃべるのが当たり前、と思っていた。
兄は、言われてみればあまり親戚とも積極的にはしゃべっていなかった。
私は、楽しいことを話そうと、気を遣って頑張ってしゃべってた。
兄はなぜしゃべっていないのか?
それは、頑張っていないから。
自然体だから、なのかも?と思った。
私にとってその兄は、なんだか自分を貫いているように見えて、かっこよく見えたし、ハッとするような発想を持ってて、昔から大好きなお兄ちゃんだった。
なーんだ、私だって別に頑張ってしゃべらなくたっていいんだ、と思った。
こと親戚の付き合いに関しては。
頑張っている自分がバカらしく思えた。
そこから先は、なるべく自然体でいれるように、自分をなるべく作らないように、配慮しながら過ごすようになった。
でも、今でもよく分からない。
自然体って、なんだ?
こんな自分、っていう、自分が思い描く自分でいること?
それとも、一人でいるときのような自分でなるべくいること?
人づきあいっていうのは、どこか無理をして成り立ってる。
でもその中に、自分らしさ、っていうものを見つけられればいいのかな。
その自分らしさ、っていうのは多分、楽しい瞬間があるかどうか、なのかもしれない。
黙ってるだけが私らしさでもないし、無理に話しかけるのも違う。
話したい、と思った時に思うように話せばいい。
それで成り立たないような人付き合いは、したくないし、続かない。
そんなところからは離れていい。
私はこれからも人付き合いは苦手だと思う。
仲良くしたくない人と話すのは嫌だ。
だから、楽しく話せるような人との交流を、していこうと思う。