大事な感覚を呼び覚ますために
私の小さいころの夢は、イルカの調教師だった。
小学生3、4年かそれより前ぐらいの時に、初めてかなんかの水族館で、
初めて水槽の中にいるイルカを見て、
もう、ビビッと、うわぁ、これだーーーーみたいな、
もうめっちゃ惹かれて、
お母さんに呆れられるぐらいそこにへばりついてた。
実際、お母さんに怒られ気味にしぶしぶ離れたのを覚えてる。
ほんとはもっとずっとそこにいたかった。
あんな感覚は長いこと生きててもそうそうないんじゃないかなぁ、
というくらい、今までの世界とは別世界になったような衝撃が走った。
そこからはもうイルカヲタクだった。イルカグッズで身を固めていった。
今はイルカに対してそこまでの情熱はなくなってしまったけど、
やっぱりイルカには何かシンパシーというか、なにか感じるものがある。
同調するエネルギーというか。
そういう感覚を大切にしていこう、と思う。
忘れてしまわないように、大切に。
気分が上がる言葉
色々がうまくいかない時。
なんでもない時。
ふいに、私は口について出る言葉がある。
「塞翁が馬(さいおうがうま)」
である。
端から見たら良くない出来事も、後になってみると、むしろ喜ばしいことだった、という意味の故事。
※本来は人間万事塞翁が馬(じんかんばんじさいおうがうま)という。
私はなぜかつい口に出る言葉が、「さいおうがうま」だった、というだけなのだが、
意味を調べて、これは!となった。
言葉の響きが好きなのだと思う。
口にすると、少し気分がルン♪となる。
意味を考えると更にルン♪が増長していい気分になる。
きっと私だけだとは思うが、試しに一度、口にしてみてほしい。
「さいおうがうま」
もし足りなければ、こちらも。
「じんかんばんじさいおうがうま」
好きな言葉は人それぞれ。
気分が上がる言葉を知っていることは、人生を少し楽しくする。
人付き合いが苦手な人は無理してる人
私は人づきあいが苦手だ。
上っ面の付き合い、というのか。
仕事場、ご近所さん、習い事、親戚、なにかのちょっとした集まり・・・
どこにいっても人付き合いというのは出てくる。
きっとほとんどの人がめんどくさいと思いながら、自分の居場所をなくさないために少し無理して人付き合い、というものをしているんだろうな。
かくいう私も、昔(中学生くらいまで?)は人に好かれようと、何をいえば喜ぶか、どう振る舞えば周りの人たちに気に入ってもらえるかと、必死に考え、明るい自分を演じ、いわゆるいい子、をやっていたんだと思う。
小学生の時は特に顕著に。
本当は人と打ち解けるのが苦手で、引っ込み思案だった。
でもそんな自分が嫌で、明るい子になりたくて、必死に頭をフル回転させて、その場その場で人を笑わせたり、どうにか傷つかないように言葉を選びながら、頑張って生きてた。
ある日、そんな私を、兄はすごいな、と言った。
その言葉に、私は衝撃を受けた。
そうするのが当たり前と思っていたから。
頑張って人としゃべるのが当たり前、と思っていた。
兄は、言われてみればあまり親戚とも積極的にはしゃべっていなかった。
私は、楽しいことを話そうと、気を遣って頑張ってしゃべってた。
兄はなぜしゃべっていないのか?
それは、頑張っていないから。
自然体だから、なのかも?と思った。
私にとってその兄は、なんだか自分を貫いているように見えて、かっこよく見えたし、ハッとするような発想を持ってて、昔から大好きなお兄ちゃんだった。
なーんだ、私だって別に頑張ってしゃべらなくたっていいんだ、と思った。
こと親戚の付き合いに関しては。
頑張っている自分がバカらしく思えた。
そこから先は、なるべく自然体でいれるように、自分をなるべく作らないように、配慮しながら過ごすようになった。
でも、今でもよく分からない。
自然体って、なんだ?
こんな自分、っていう、自分が思い描く自分でいること?
それとも、一人でいるときのような自分でなるべくいること?
人づきあいっていうのは、どこか無理をして成り立ってる。
でもその中に、自分らしさ、っていうものを見つけられればいいのかな。
その自分らしさ、っていうのは多分、楽しい瞬間があるかどうか、なのかもしれない。
黙ってるだけが私らしさでもないし、無理に話しかけるのも違う。
話したい、と思った時に思うように話せばいい。
それで成り立たないような人付き合いは、したくないし、続かない。
そんなところからは離れていい。
私はこれからも人付き合いは苦手だと思う。
仲良くしたくない人と話すのは嫌だ。
だから、楽しく話せるような人との交流を、していこうと思う。
流れに身を任せる
私のここ6年くらいの方針は、これだ。
流れに身を任せる。
Go with the flow.
それが楽だし、そうすることが一番の近道な気がして。
自分の力だけじゃいけないところでも、流れに身を任せてみれば、いけるところもある。
特に私は。そういうタイプなんだと思う。
自分でここにいきたい!こうなりたい!
って目標決めて頑張るよりも、ああ~、こうしたい!
って目の前で起こったことや自分の感情をどうにかするために動く、みたいな感じで動いた方がいいんだと思う。
何をするか、何をしたいのかは、その時になってみないとわからない、っていう。
もどかしいけど。
そうなるまで待つしかない。
こう書いてるとまるで天才作家が、(アイデアとかが)降ってくるまで分からない、みたいなニュアンスあるけどw(そんなプレッシャーがない分まだいいか?)
人のことは聞かれればこうしたらいいんじゃない?とかすぐわかるのになぁ。
とりあえず今何がしたいかっていうと・・・
好きな音楽聴きながらめっちゃ大声でそれ歌いながら車を死ぬほどかっ飛ばしたいww
(ちなみに今は宇多田を聴きながら通常の歌声で歌いながらこれ書いてますww)
体感覚を鍛える
私に足りないもの、それは
わくわく感。
体が発する、体全体が”なにか”を求める感覚。
それが、私を次のステージへ連れていってくれるらしい、ことはわかっているのだけれど。
お金や、仕事は、結果ついてくるもので。
それ自体を求めるのでなく、体が求めるものを、追求する。
その感覚を取り戻す。
そのためには。
骨をさわる。
体に意識をもっていく。
おなかがすくまで、何も食べない。
食べたいものを食べる。
おいしいものを食べる。
脳はただ入れるだけの器。
体を信じる。
それが今の私に必要なこと。